本尊
銅造阿弥陀三尊立像(善光寺式)2躯
お地蔵さま情報
石造子育地蔵菩薩立像/場所:境内・本堂左手 地蔵堂
創建
文明9年(1477)
由緒・歴史
岡崎城主・西郷信貞(松平昌安の別称)が滝町の萬松寺から滝澤永源上人を招き開山したと伝えられています。永源上人が菅生川に夜な夜な光るものがあるため探したところ、一光三尊善光寺如来像を発見し、これこそかつて浄瑠璃姫伝説の兼高長者が寄進した仏に相違ないと本尊にしたといわれます。
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本尊となった一光三尊善光寺如来像は鎌倉時代13世紀ごろの作とみられる金銅仏で、岡崎市指定文化財となっています。
浄瑠璃姫伝説では、寺裏の菅生川(乙川)の淵を姫入水の「浄瑠璃淵」と呼んで、淵の途中にあった洞窟に石造観世音菩薩像を安置して「穴観音」としておまつりし、天明元年(1781)には姫の600回忌追善供養を行い、その引き札(告知チラシ)を菅江真澄が書いています。昭和56年(1981)の乙川堤防改修工事によって、浄瑠璃淵、姫のかくれ穴、足跡石などの伝説地は消滅しました。穴観音像は、浄瑠璃姫と乳母・冷泉の墓に並んで安置されています。
明治19年(1886)本堂が焼失したため仮堂が建てられましたが、昭和20年(1945)の岡崎空襲で再び焼失の後、昭和50年(1975)に再建されました。敷地墓所には浄瑠璃姫の墓があります。
見どころ


浄瑠璃姫墓所
本堂裏手墓地(子育地蔵尊の脇道から奥へ)の一角に、浄瑠璃姫と乳母の冷泉の2基の宝篋印塔と石造穴観世音菩薩像がならんでいます。
行事
3月、9月 | 春秋彼岸 |
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7月 | 施餓鬼法要 |
1月7日 | 毘沙門天新春祈祷会 |
参拝記念
御朱印なし

